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マンガのネームでしばし悩む。マンガにおいて、原稿作業に入る前に大まかに描くドラフトと、吹き出しの中に書き入れるセリフ、このどちらともネームと呼ぶが、それはどうしてだろう、とかも考え始めるとそこでまた腕が止まる。いや、止まっているのは頭だ。止まってはいけない、考えろ考えろ。
描きながらもうどうしたらいいか分からない。まさに一寸先は闇、そんな言葉がピッタリあてはまる。けれど、これはそんなに嫌な精神状態でもない。どうしたらいいか分からないときは、どうにか出来そうな気がするし、またその可能性も五分はある。 こうすればいい、とひとつの案がある場合は、あまり気が進まなくても他になければそれを選ぶしかないし、また、新しい案をひねり出そうにも、なまじ既に案が出ている状態なので、それに対案をぶつけるのは労力も数割増しだ。でも、きっとマンガを描く上で大切なのは、後者を乗り切る力だろう。人生においてもまたそれは然り、だと思う。いやいや、今はそれよりマンガのネームである。楽しかろうが辛かろうが、悩みは尽きない。(これって幸せか 親がどなた様かより頂いたお菓子をお茶請けに休息。「リーフパイ」と「リーフココアパイ」があって、「リーフココアパイ」を食べようとしてつい「リーフパイ」の袋を開けてしまう。「リーフココアパイ」の袋は薄茶色、「リーフパイ」の袋は濃茶色なのだ。普通逆じゃないだろか。まったく、ユーザ・フレンドリィという言葉を知って欲しい。 Winampというプレイヤソフトを久々に使ってみたら、完全なギャップレス再生が出来るようになっていた。前から出来ていたのを知らなかっただけかも。これが思いの外嬉しくて、ここのところPCで音楽を聴くときはもっぱらこれを使っている。頑張れiPod!! |
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版権物やメジャーどころを狙って描くのは、あまり得意ではないのだけど、この際珍しく翠星石を描いてホームページに載せたら、一晩でアクセスが1000を超えた。1000やそこいらでどうこうというのは、人気サイトと比べれば何とも慎ましやかな話かもしれないけど、うちとしては実に通常の20倍から30倍。げに恐るべし、ローゼン・メイデン第3ドール。 ローゼンメイデンは、原作のマンガは雑誌連載開始時のほんの1〜2話を読んだことがある(たまたまそのときバーズを購読していた)だけで、TVアニメでしか観てないのだけど、これでもなかなかのお気に入り。友達は、ストーリィにおいて若干否定的な感想を述べたけど、そしてそう言われてみれば、まぁそんな気もしないではないけど、好きだったのはやっぱりキャラクタ、そして作品の雰囲気か。 巷のあちこちで大人気の翠星石だけど、多分に漏れず、僕もまた翠ちゃん好きです。こんなとき、自分の中のへそ曲がりが多数決に背を向けさせようと、何やかやと煩いことも言うのだけれど(ぉ)、そういうのには無視を決め込んでいかにゃああきまへんですよぅ? そんな折、こんなページを発見。というわけで、どういうわけで?翠星石にいっちょ関白宣言を試みます。 関白宣言(作詞・作曲 さだまさし)お前を嫁にもらう前に 「何ですかぁ?」 言っておきたいことがある 「……どうかしましたか?人間」 かなり厳しい話もするが 「何言ってやがるですかお前? 翠星石にわかる言葉で話しやがれですぅ」 俺の本音を聞いておけ 「……ほっとけですぅ」 俺より先に寝てはいけない 「素直でよろしいですぅ」 俺より後に起きてもいけない 「お前が……?」 飯は上手く作れ 「そうでしょうそうでしょう?」 いつもきれいでいろ 「そりゃあいつも清潔にしてるですから♪」 出来る範囲でかまわないから 「お前にその気があるならできるかもですぅ」 忘れてくれるな 「意味わかんねーですっ!」 仕事も出来ない男に 家庭を守れるはずなどないってことを 「これから出勤ですかぁ? ま、無理しない程度に頑張ってきやがれですぅ」 お前にはお前にしか出来ないこともあるから 「何ですかぁ?」 それ以外は口出しせず 「意味わかんねーですっ!」 黙って俺についてこい 「お前が……?」 う〜〜〜ん………(悩 そこそこお嫁さん向き、というところか。 興味があったら結婚しようよ(作詞・作曲 吉田拓郎)なんかでも試してみてちょうだい。翠星石は、昭和のフォークがよく似合うと思うから。 |
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2日は東京の国際フォーラムにまた佐野元春のコンサートを聴きに行った。そう、“また”だ。まさかコンサート・ツアーのなかで2つの公演に行くとは思っていなかった。といって何も不可抗力にとらわれてもう一度行く羽目になったわけではなくて、自分で行きたいと思って行ったわけだけど。
前回の神奈川県民ホールは一人だったけど、今度は2人。いつか佐野元春を聴かせたいと思っていたので、それが達成できたのも嬉しかった。MOTOの歌をその人と共有できたのも、また嬉しかった。 MOTOは「コンサートにおいて、僕とファンは共犯関係にある」という(たぐいの)発言をする。ただ単に一緒に盛り上がるというだけなら、なぜ、協力関係なのではなく共犯関係なのか。という話を、コンサート前にパートナーとした。たとえば、恋愛の場合でもそれを共犯関係といったりする。それと同じじゃないだろうか。いや、同じではないけど、似た部分もあるだろう。 コンサート前に時間があったので、谷中・上野で桜を見た。素晴らしい咲きっぷり。「桜を見ていると日本人だなぁと実感する」とか、誰かが言っているのを聞くと訝しがらずにはいられないけど、実際に見ているとそんな気がしてくる。訝しむべきは自分自身か。 ぎりぎりで取れた席だったので、MOTOもザ・ホーボーキング・バンドの皆も米粒ほどの大きさ(それでもタイ米くらいのサイズはあった。神奈川県民ホールでは柿の種くらいだったか)だったけど、ホールの隅々まで共犯関係は行き渡っていたと思う。心を込めてありがとうといいたい。MOTOに、バンドに、周りのファンに、となりの人に。 さりげなく“である調”(というか“だ調”)で書いてしまっているけど、これまでは“ですます調”で書いてきた。どっちにすべきか、去年ブログを始めてからずっと、何となく悩んでいたことでもある。 子供の頃に教わったことで現在まで生きていることは、「ゴミのポイ捨てはダメ」と「文章の“ですます調”と“である調”は混用してはならない」くらいなのだが、どちらももう身体に染み付いて消えないくらいになっている。何故だか、文章に初めて触れた頃から、語調は妙に気になっていた。小学校のテストの問題文が「こたえはなんでしょう」だったのが「答えを求めなさい」になったときに感じたショックは、今でもハッキリ憶えている。人の書いた文章で異なった語調の混用を見つけると、もう気になって気になって仕方がない。 けれども、最近その考えも少し変わってきたのは、やはりネットのせいだと思う。それまで文章というのは、本でも新聞でも、著者がしっかりと完成させたものを自分はただ受け取るだけで、それはあくまで一方通行だった。もちろん交換日記などもしたことはない。ネット上でも、ホームページを見たり作ったりしてるうちは、その文章も完成した一方通行のものだったけど、メール・BBS・チャット・ブログがそのルールをなし崩しにした。文章は話し言葉のようにコミュニケーションのツールになりうる。だから、それを自由に使いまわすことも可能だと思うようになった。言葉を厳密に制御するのも正しいし、時には言葉に翻弄されるのも、また面白いと思う。 “ですます調”は丁寧な感じを与えることが出来るけど、それで文章のリズムが明らかに悪くなる場合がある。“ですます調”のせいで、持って回った嫌味ったらしい文になってしまうこともある。それでも、それを放棄することは、僕にとっては少なからぬプレッシャだった。けれど、文章も不完全でありまた自由だ、そう考えることで気持ちを軽くすることが出来た。 そんなわけで、これからは語調の多少の混用は辞さない覚悟である。その点、大目に見てくれないかなぁ?僕自身は大目に見ようと決めたんや。ということですので、今後ともよろしくおねがいしますぅ……m(_ _)m |
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