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昔の子供って、ちょっとした物知りが結構な割合でいたんじゃないかなぁと思います。いわゆる「○○博士」ってあだ名で呼ばれていたような子たち。虫とか希少動物とか乗り物とか、天体とか電子工作とかごく限られた地域・時代についての歴史とか。
翻って、今の子供ってどうなんだろうと思って。子供たち自身がそういうものに興味を持っているか否かってこと以前に、今でも彼らの周りにそういう情報ってあるのかな? みうらじゅんが話していたように、漫画雑誌の巻頭グラビアで即身仏や突飛な未来世界についての特集をしていたような、そういう時代ではなくなってしまったのはどうやら疑い様がないけど、その理由は一体なんだろう。大人たちが子供に自信を持って知識を与えることが出来なくなっているように感じるのは、どうしてだろう。それがポストモダンってやつなんですよ、ってことは知識として知ってはいるけれど、その知識は「博士」になってみんなに披露したくなるような知識ではないよなぁとも思うんですけど、うーん、何が違うんかしら、どう変わってしまったんかしら? 思うに、知識や教養って、自分たちには関係のない、役に立たないものだから輝くのかもしれないですね。ポストモダンやら精神疾患やら経済危機やら環境問題やらインターネットのメリットとデメリットやら、そういう知識は現実の自分たちを定義し方向付けるものだから、つまるところ退っ引きならない。もっとシンプルにいえば「夢がない」。 もっとも、役に立たなかったら何でもいいのかというと、そうでもなくて……なんていうか、あくまで想像世界の中でだけ摂取できる食物っていうか、そんな感じのモノ。想像世界の中で食事をとるっていうのも、トレーニングを必要とするひとつのテクニックだし、それができないと想像世界はどんどん痩せ細っていきます。 つまり、って味気ない結論になってしまって申し訳ないですが、とにかくみんな遊んだ方がいいな、と思います。大人がちゃんと遊んで、それを子供に見せれるようにならなくちゃ。でも、それがとっても難しい。WiiやDSで身体や脳を鍛えたり、ネットでスマートな消費生活を謳歌してみたって、言っとくけどそんなの全然遊びじゃないですからね。そもそも、誰かに見せるためにしちゃったら、もはやそれは遊びではないし。価値のないものに価値を見い出すって、思うよりずっとやっかいなことです。いや、逆かな……価値のあるものを価値のないものとして捉えること、あるいは価値のないものを価値のないままにしておくことが難しいのか。真空状態で音楽を演奏するようなものかも。 えっと、なんでこんな話になったんだっけ? そうそう、テレビでクイズ番組を見ていて、回答者の一人がマニアックな問題にズバリ答えてみんなの賞賛を集めていたのでした。その問題ってのが世界の絶滅動物に関するもので、その回答者が子供時代を送った頃にはその手の教養が輝きを発していて、子供たちの多くが色んなことを知っていたんだろうなと思ったのです。そういうモードって、僕が子供だった20年くらい前まではギリギリ残っていて、僕自身は、恐竜博士を気取ってました。その頃の知識も、今ではかなり不確かなものですが。 しょせんはノスタルジィですけど、いい時代だったなぁと思います。今の子供たちにも教えてあげたいなぁ、なんておせっかいも頭をもたげます。それが彼らの成長に役立つ? そんな即物的な考えをした時点ですべては台無しです。 |
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